先日Twitterで「ディズニーの悪党」という単語がトレンドに乗ったのが記憶に新しい。どうやら何年か前の「ディズニーヴィランズ診断!あなたは何タイプ」的な記事が再注目されトレンド一位を取るに至ったらしいが、タイムラインは各々が好きなヴィランズを紹介しあい、豆知識を披露し、時には派生作品まで話が広がり、ととても楽しげな状態であった。
私は『ラマになった王様』のヴィラン、イズマが好きだ。ヴィランズの中で一番好きだ。
あの嗄れた声、痩せこけた手足、昔は美人だったんだろうな……と連想させる皮膚の弛んだ顔。そして圧倒的なコミカルさ。
そして「自分へのアジトの通路をディズニーアトラクションみたいにしちゃってるところ」がスゲェ好きだ!!!!!!!!!!!!最高すぎる!!!!!こういうの大好きなんだよ!!!!カッケー!!!!!もちろん彼女の相棒、続編では主人公となる「ヴィランらしくなさすぎるヴィラン」のクロンクも大好きだ!!
そんなイズマ大好き一生着いていく!系人間の私であるが、しかし残念ながら彼女には唯一足りないものがある。知名度だ(致命的である)。
もしヴィランズ診断で彼女が出てきたら、大抵のティーンエイジャーはこう思うだろう。「このガリガリのおばあちゃん、誰?」と。
……仕方ないよ。知名度低いんだもん。
言ってて悲しいが、だから診断結果として彼女が出てくることはもちろん想定していなかった。
だがしかしまだ望みはある!タイムラインをよく見ると、みんな各々「自分の好きなディズニーの悪党は○○と××〜!」と、好きなディズニーヴィランズを紹介しだしているではないか!あんまり知名度のないヴィランでも、診断結果に出てこないヴィランでも「有名じゃないけどディズニーの悪党だと△△ってキャラが好きなんだよね〜」ってツイートされてる!!!これはイズマ好き同志を探すチャンスだ!!!!検索だァァァァァァ!!!
[ディズニーの悪党 イズマ] 【検索】
ツイート数 10件
……………………。
10件
ほんとにピッタリ10件だった。まさか片手で数えられる程だったなんてな兄弟。
ちなみに「ディズニーヴィランズ イズマ」で検索をかけたら30件くらいに増えたよ。やったね。
______________________________________________________
とにかく今回はそれくらい人気の……知名度のない映画『ラマになった王様』について書かせていただきます。
- 基本情報
【あらすじ】
舞台はとある南米の国。この国の王様クスコは、全てを手にしていると自負していた。大きなお城、何人もの使用人。そしてなんといっても王様のグルーヴ!今日もわがままクスコ王は相談役イズマとクロンクをクビにしていい気分だったのだが、なんとこの2人は復讐のためにクスコをラマに変えてしまう。
ラマとして辿り着いた先で出会った農民パチャとの出会いによって、2人のブーンベイベな旅が始まるのであった……。
ちなみにこの話の原題は『The Emperor's New Groove』といい、アンデルセン童話『 The Emperor's New Clothes 』のパロディとなっています。日本語では『裸の王様』として広く知られているアレです。
本作の製作総指揮は『美女と野獣(1991)』で製作に参加したのを皮切りに次々と、『ライオン・キング(1994)』や『ノートルダムの鐘(1996)』のヒットを牽引したプロデューサー、ドン・ハーンです。いわゆる''ディズニールネサンス''の立役者ですね。
『美女と野獣(1991)』では2800万ドル程度だった予算ですが、『ラマになった王様』はなんと1億ドルもの予算をかけて作られました。当時のディズニーとしてはかなり予算がかかっています(これは後に本作を解説する上で割と重要な情報になっています)。しかし、興行収入は予算を少し上回る程度で、手放しで成功!と喜べる作品とは言い切れません。
だけど『ラマになった王様』はメチャクチャ面白い。
アニー賞も3部門受賞しているし、批評サイトの評価もTomato85%、Metascore70点と悪くはない。
ちなみに本作の音楽は映画『レオン』の主題歌「Shape of my heart」などで有名な超大御所、スティングが担当しています。
- 見どころ
冒頭シンデレラ城が映るロゴシークエンス。聞き慣れたいつものあの曲ではなく、なんか悲壮なバイオリンが響く。雷が落ち、カメラは下へ下がり……雨曝しの可哀想なラマの姿が見える 。
そしてナレーションのクスコが「あれ見えるか?あの汚いラマ、あいつ実は王様だったんだぜ、そう、俺。」と喋り出す。
いわゆるメタ発言というやつですね。
物語の主人公が視聴者を対象として発言することです。
他にもクスコは中盤「おいおいおいちょっと待て、この話の主人公はこいつ(パチャ)じゃないぜ?」といきなり割り込んできたり、終いには「物語の中」のクスコと「時々ナレーションとして出てくる」クスコが会話しだします。
ディズニーがそれをやるか!と驚くような小ネタ、痛快なストーリー、そして飽きさせないテンポの良さ。このあたりが『ラマになった王様』の面白い部分だと思います。
ちなみにラテンアメリカ、本作の舞台になったインカ帝国のあたりではラマは多く生息していますが、荷物運びなどをしません。何故かって?それはラマがプライドの高い生き物だからです。
『Saludos Amigos(1942)』というWDASの長編映画の中でラマについてこのように言われています。「ここでは小さなロバ達が荷物を運びます。それは、気取り屋のラマが荷物を運びたがらないからです。そう、ラマは自分が一番偉いと思っているんです。」と。これはラマになる前のクスコの性格と全く同じですね。
.
また『ラマになった王様』には、最近のディズニー作品のオマージュ元ではないか?と思わせる描写が多々あります。フライパンを振り回すパチャの奥さん然り、アクションシーンでは多々『塔の上のラプンツェル』を彷彿とさせる動きなどが垣間見えます。
またディズニーのバディムービーとしては『ピノキオ(1940)』の系譜を受け継いでいて、本作における「親子とも友達とも取れるようなクスコとパチャの関係」が『ブラザー・ベア(2003)』や『シュガー・ラッシュ(2012)』、と更に受け継がれ、そして現在の『ズートピア(2016)』や『モアナと伝説の海(2016)』あたりへ少しづつ形を変えながら進化してきているのかなと思います。これは近代ディズニーのバディムービーの元祖と言ってもいいのでは?(いや、元祖がこんなおちゃらけムービーでいいのか?)
ディズニーファンとしても一見の価値あり、ディズニーファンじゃなくても思わずクスッと笑ってしまうような展開に魅了されること間違いなし。
もし「まだ観てないよ」って人が居たら、悪いことは言わない。
今すぐリモコンの再生ボタンを押しましょう。
(ここからは本編のネタバレを含みますので、先に視聴しておくことをお勧めします)
- 過去の自分との決別
それは先述した「雨曝しでひとりぼっちになってしまったクスコ」のシーンです。
.
クスコはこの登場シーンこそ「可哀想なラマ」のように描かれますが、基本的にわがままなおしゃべりクソ野郎です。
自分のグルーヴにひとたび邪魔が入れば、悪政で困っている老人を城から放り出す。結婚相手選びでも上から目線で容姿にイチャモンを付け、気に入らない部下はクビにして、そしてパチャの住む家を建て壊し自分の別荘にしよう!とパチャの同意無く勝手に決定します。
だからストーリー中盤で真実を知ったパチャが「あいつら(イズマとクロンク)はお前の命を狙ってる!」と警告しても、「僕の部下だぞ?あいつらは僕の言うことは何でも聞く」と高を括り、自分のことを想って言ってくれるパチャに対し「Stupid Hilltop(頭の悪いヤツ)!」と聞く耳を持ちません。
しかしクスコはパチャと喧嘩別れした直後、実はイズマとクロンクが自分に毒を仕込んだということを知ってしまいます。そして極めつけに正直者のクロンクが「まぁあの人(クスコ)が死んだこと、国の誰も気にしてなかったですしね」と言っているのが聞こえてしまう。
慌てて引き返しパチャを探すも手遅れ。
彼はひとりぼっちになってしまいました。
と、ここで冒頭のシーンに戻るわけですね。
このシーンでナレーションのクスコは「ね、僕って可哀想だろ?それもこれも、全部あいつらのせいだ……」と映画の展開すら責任転嫁しようとしますが、しかし本物のクスコはこれを「黙っててくれないか?」と一蹴するんです。そしてこのシーン以降、彼の心の声でもあったナレーションのクスコは一切登場しません。クスコは自分で「傍若無人だった自分」にケリを付けたんです。
そしてそんな彼にパチャは「ダメダメなやつなのに、どうしてか放っておけないんだよなぁ」ともう一度手を差し伸べてくれる。
心がじわり、と温まっていくような。
そんな優しい暖かさがこの映画にはあります。
さて、クスコは18歳と若くして王の立場にありますが、彼の両親の存在は本編でも続編でも、TVシリーズでも登場しません。
幼い頃に亡くなったのか。詳細はわかりませんが、とにかく彼の人生の最大の不幸は「自分を怒ってくれる人が居なかったこと」にあると思います。若いうちから権力を持ってしまった彼。周りはみんなクスコの顔色を伺うから、本当は自分がどう思われているかなんて、到底知ることが出来なかった。
後に相棒となるパチャでさえ、宮殿の中で傍若無人に振る舞うクスコに対しては強くものを言えなかった。
それが「クスコがラマになる」という奇妙な展開のおかげで、パチャはクスコと''対等な存在''として彼を叱り、喧嘩し、力を合わせることができたのです。
結果論にはなりますが、クスコをラマにした張本人のイズマでさえ、クスコにとっては「感謝するべき存在」であると思います。
この物語を「ただのギャグ映画」とするだけでは勿体ない。
そんな優しい暖かさがこの映画にはあるのです(2回目)。
- 元々は全く違った話になる予定だった
さて、そんなギャグ色の強い『ラマになった王様』ですが、元々この映画は「Kingdom of the sun(太陽の王国)」という題名で構想が練られ、インカ帝国を舞台とした「王子と乞食」のような物語が展開される筈だったんです。(「王子と乞食」といえば1990年に登場した『ミッキーの王子と少年』を思い浮かべる人も多いはず。)
『王子と乞食(少年)』は、端的に言えば貧困層の少年と王子がこっそりと入れ替わり生活をする話です。
そこに永遠の若さを望むイズマが現れ、2人の入れ替わりに気付いてしまう。イズマは太陽の光こそが若さを奪うと考え、本物の王子をラマに変えて貧乏な少年を王子として生活させながら「自分の言う通りにしなければお前が本物の王子では無いことをバラす」と脅して王国を自分のものにし、王国を暗闇に沈めようとします。一方ラマになってしまった王子の方はラマ飼いの少女マタと出逢い恋に落ち、何やかんやあって王子は元に戻りマタと結婚する……。という感じのラブストーリー。
声を大にして言います。
観たすぎるのだが????????
いや絶対面白いじゃんそんなの今のラマになった王様も大好きだけど太陽の王国バージョンのイズマ絶対めっちゃ格好良いイズマじゃん。カリスマのイズマじゃん。マレフィセントともタメ張れるレベルのヴィランになってたかもしれないってことやん。今からでも遅くないからifルートとしてそれ作って。こんなに良いストーリーを今まで放置してたなんて許さんぞウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。
冒頭述べたようにこの映画に一億ドルもの予算を掛けたのは、それだけディズニーが気合いを入れた大作にするつもりだったからなのです。
実はスティングをわざわざ起用したのもそのためで、『ライオン・キング』におけるエルトンジョン、『ターザン』におけるフィルコリンズ、そして『太陽の王国』におけるスティング。そんな立ち位置にしたかった映画だったのです。
『リトル・マーメイド』を超えるラブストーリになる予定だった、とのちに製作陣が語る程の本作が何故こんなおちゃらけネタ枠黒歴史ムービーになったかというと、単純に製作に時間がかかって打ち切られたのと、『ノートルダムの鐘(1996)』『ヘラクレス(1997)』などの不発を受け、「観客を圧倒する物語」ではなく「コミカルさを重視した路線」に走ったという2つの理由があるそうです。
……今からファンレター100通くらい送るから、作ってくれないかな。太陽の王国。
ちなみに『太陽の王国』の挿入歌としてスティングは既に8曲ほど制作していたのですが、その計画が立ち消えになって、さらに『ラマになった王様』はミュージカルシーンのない映画になったので完全にお蔵入りしました。
でも本来イズマが歌うはずだった「Snuff Out The Light(明かりを消して)」はメチャクチャ格好良くてグルーヴィーな名曲だから聴いて。Youtubeで調べればカットされたイズマのラフ画付きで聴けます。
ディズニー上層部とクリエイターの対立の象徴ともなってしまった本作は、後にそのクリエイター達によって「Sweatbox」というドキュメンタリー映画として製作過程が暴露されるのですが、 最終的にディズニーにその権利が剥奪(買収?)され、現在ビデオやDVDとしてリリースされてはおらず”幻の映画"となってしまいました。割と闇が深いです。
ネットで流出したことがきっかけで世に知れ渡ることとなったので、調べれば観れることもできます。ただ全部字幕なので、まぁ頑張ってください。筆者は2/3くらいしか理解出来なかったです。もうちょっとリスニング力を高めてからもう一度観て記事にしたいですね。
- まとめ
イズマはいいぞ〜。
個人的にデリートされた太陽の王国が観たすぎてChargeで署名活動したいくらいだよ。(と思って調べたらほんとにありました。「太陽の王国を復活させよう署名」。)
でも今の『ラマになった王様』もほんとにすごくいい映画なんだよ。知名度低いけど。
という訳でこれからも私は「イズマを広め隊」としてコツコツ活動していくことにします。
0 件のコメント:
コメントを投稿