例えば貴方が何かをきっかけでディズニーを好きになったとする。
そして「あ、これ名前聞いたことあるな」程度のディズニー長編アニメを何作か観ていくうちに、次第に「あれ?この勢いなら全部制覇できるんじゃね?」と考える。
2020年6月現在WDAS長編作品の数は全部で58。本気で見ようと思えば、1週間余りで制覇することは造作もない。
しかし、どこかのタイミングでメチャクチャ高い壁にぶつかる。
そう、何を隠そうこの映画のことである。
『コルドロン』は高い壁なのだ。
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先に言っておくと、筆者はこの映画が大好きです。
なんで?と聞かれても「わからない」。
いい映画か?といわれるとそうでもない(そうでもないんかい)。
だけど私はこの映画が狂おしいほど好きなのだ。
もしかしたら、人生最後に観たいのはこの『コルドロン』かもしれない。それくらい好き。
しかしこの映画『コルドロン』は、ディズニーライト層からの知名度が勿論ゼロなのはおろか、ディズニーファンからも評価が低いという圧倒的な欠点を持つ。
なんなら『コルドロン?あぁ、あのつまんないって言われてるやつでしょ!』的な立ち位置の映画としてファンの間では有名である(実に不名誉なことに)。
あとはツムツムで知ったとか、かつて東京ディズニーランドにあった「シンデレラ城ミステリーツアー」で知ったとかが多い。
では「なぜ」この映画が駄作なのか?
そう言われる所以を、数少ない「この映画が大好きな人」として書いていこうと思う。
基本情報
【あらすじ】
騎士になることを夢見るブタ飼いの少年ターラン。
彼はある日一頭のブタと共にホーンド・キングに攫われる。
ホーンド・キングは「コルドロン」を使い死者の軍隊を蘇らそうと目論んでおり、ターランの飼っているブタが鍵を握っていると踏んだのだ。
ターランは城に閉じ込められるも、そこで出会った仲間たちと共になんとか脱出。
そしてターランを初めとした4人のパーティは、ホーンド・キングの計画を阻止するため「コルドロン」を壊しに向かうのであった……。
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原作は、ロイド・アリグザンダー作「プリテイン物語」シリーズの『タランと角の王』および『タランと黒い魔法の釜』。全5巻のうちの1巻目と2巻目にあたります。
【制作背景】
本作がアメリカで公開されたのは1985年のことで、この時のスタジオは丁度「世代交代」の時にありました。
経営陣のやり方に反発したアニメイター達がストライキを開催。
『眠れる森の美女(1959)』『王様の剣(1963)』などを手掛けた当時のスタジオのメインアニメイターであるドン・ブルース氏が、トップと意見が合わずディズニーを退社。さらにその時11人のアニメイターを連れていき、そして新しいスタジオを作ってしまいました。平たく言っちゃえば謀反ですね。謀反。
彼は後に『おやゆび姫 サンベリーナ(1994)』や『アナスタシア(1997)』などで成功を収めます。ちなみにアナスタシアめちゃくちゃ面白いのでみんな観てね。
そしてさらに、公開の前年1984年にパラマウント映画社からマイケル・アイズナー氏がCEOに就任。同時に同社からジェフリー・カッツェンバーグ氏が映画部門の責任者に就任します。もはや当ブログレギュラー、皆さんもお馴染み「最強独裁タッグ」です。この2人はディズニーの黄金(ルネサンス)期の立役者でもありますね。
そして『コルドロン』の公開が1985年7月。
お分かりいただけたでしょうか?
『コルドロン』は、正に激動の真っ只中で製作された作品なんです。
コルドロンは本来なら(つまり、謀反とトップ交代が同時に起こるようなことが起きなければ)「第2の白雪姫」のような立ち位置にする筈の大作だったとも言われています。
【大混乱のスタジオ】
更に読んでいる皆さんを混乱させてしまいそうなことを言うと、
元々この作品の監督はジョン・マスカーでした。
ジョンマスカーといえば仲良しのロン・クレメンツと共に『リトル・マーメイド』『アラジン』『ヘラクレス』などを監督したWDASの一軍メンバーですが、プリキスの記事で軽く紹介したように、何故かスタジオ内では冷遇されがちな不運の監督です。
マスカーは初監督作品の『コルドロン』を成功させようといくつかのシーンを追加するのですが、「コメディタッチが過ぎる」と言うことで削除され、しかも監督を降ろされます。ひどすぎ。
どうやらこの辺りからディズニーは「大人向け」アニメの制作に躍起になっていて、本作がディズニー初のPG指定(年齢制限)が設けられた映画なのもディズニー社の「方向転換」の現れと言えます。子供向けのコメディより大人向けのホラー。これが後に"事件"を起こすことになりますが...。
「コメディが過ぎる」という理由でマスカーをクビにしたアートスティーブンス、『ラマになった王様』とか観た時卒倒したでしょうね。知らんけど。
そしてマスカーとクレメンツは新規プロジェクト『The Great Mouce Detective(オリビアちゃんの大冒険)』の方に左遷させられます。
マスカーの後任監督となったテッドバーマン、リチャードリッチの2人もそれはそれは大変だったようで、本作を最後にスタジオを去ってしまいます。
製作陣がこんなにゴチャゴチャ変わる作品は後にも先にも無いでしょう。
もはやWDASにとっては「呪われた映画」です。
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そして新たに迎えられたカッツェンバーグは、彼の就任時点で既にほとんど制作が終わっていた本作を後から「変えろ」と要求してきました。
スタジオの経営陣はまだスタジオに残っていたアニメイターのジョー・ハイルを本作の製作責任者とするのですが、彼は後にこのように語ります。
「カッツェンバーグが最初に映画コルドロンを観たとき、彼はそれを10分カットするように私たちに言った。 ロイディズニーと私が集まり、取り除くことが可能な、ストーリーにはそれほど影響しない部分を探しました。
新しいバージョンの映画を観終わったとき、カッツェンバーグはロイに「本当に10分切り取りましたか?」と尋ねました。ロイがいいえと答えたとき、実際に切り取ったのは約6分だけだった。するとカッツェンバーグは「私は10分と言った!」と怒った。
彼(ジェフリー)はその後本当に絵を12分程度切り取ってしまった。
彼(ジェフリー)はその後本当に絵を12分程度切り取ってしまった。
最終的なカラーまで決まったあとでそんな決断をすることは、非常に馬鹿げています。」
その後アニメイター達はなんとかカットされてもストーリーが自然に進行するように絵を書き直したそうです。
兎に角、この『コルドロン』という映画が混乱の中で製作された作品である、ということはわかっていただけたでしょうか。
- どこが「駄作」なのか?
さて、そんな「時代の移り変わりの犠牲者」ともなってしまったこの作品ですが、具体的にどこがダメなのか?をいくつかリストアップしていきたいと思います。
- 興行収入と恐怖映像
第1に、興行収入がディズニー史上初の''赤字''であること。
スタジオ25作目にして赤字が出ちゃったよと。
4400万ドルの費用をかけて作られましたが、興行収入は2100万ドルとその半分にも及びませんでした。普通に黒歴史です。
ちなみに2020年現在WDAS作品で興行収入が予算を下回っているのは、本作とそれから『トレジャー・プラネット(2002)』『ホーム・オン・ザ・レンジ(2004)』のみです。金食い虫三銃士ですね。
なぜそんなことになったかを少し調べてみました。
前述したように『コルドロン』にはカットされてしまったシーンが存在するのですが、このシーン自体にも問題がありました。
Youtubeで「The Black Cauldron Deleted Scene」と調べればラフの状態のカットされたシーンが見つかります。
そのうちのひとつに、「アンデッド」のシーンというものがあります。
端的に説明すると「腐敗した死体の軍隊たちが人間を襲い、人間がゆっくりと溶けていき、完全に凶悪なゾンビになる」シーンだったのですが、まぁこれが非常にグロテスクで怖い。少なくとも、ディズニー作品とは思えないタイプの映像だったんです。
下の画像を見ればわかるでしょうが、ディズニー映画を観に行って劇場でこんなん流れたら普通にトラウマ物です。
そしてある事件が起こります。
このグロ映像が、悲しきかな親子試写会で流れてしまった。
アニメイター達が劇場の外で様子を見ていると、すぐにドアが開いて、お母さんは怒って怒鳴っている2人の子供を連れて立ち去っていきました。彼女の後には別の人が続き、泣いている大勢の子供と動揺した両親が劇場から逃げ出したそうです。
大問題です。その後このシーンは慌ててカットされます。
私が考えるにこのシーンの話が口コミや報道で広まってしまったのではないかと思います。だから劇場に足を運ぶ人が少なくなってしまったと。
- notミュージカル
そして第2に、歌がない。
ディズニーといえばミュージカル。ミュージカルといえばディズニー。しかしこの作品は始まりからエンドロールまで一切歌唱がありません。
ディズニーには辛うじて「ミュージカルではないが歌はある」作品(『ターザン』など)はありますが、全編通して歌が存在しないのは極めて異様なことです。
(ここからは本編のネタバレを軽く含みますので、先に視聴しておくことをお勧めします)
- 単純につまらない
そして第3に、ストーリーが微妙。
最初に主人公ターランが登場した時、彼は騎士を夢見るただのブタ飼いの少年でした。
勘のいい人なら気付くでしょう。「あぁ、この子が夢を叶え、騎士になって悪役を倒すのだろうな」と。
答えはいいえです。
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恐らくこれが考えられる上で一番の『コルドロン』の問題点かなと思います。
ラストの見せ場となるシーンが全くと言っていいほど無いのです。
とにかく本作は誰も戦わずに終わります。
ゾンビ達も、マスターヴィランであるホーンドキングも出てくる''だけ''。
ホーンドキングに至っては、登場時めちゃくちゃ怖かったのに最後に何故かコルドロンに飲み込まれて勝手に死にます(尚、この際主人公はそれを見てるだけである)。
主人公側も、魔法の剣やら謎の光球やら動くハープやらとお役立ちアイテムはいくらでもあったのに何も使わずに終わります。言うならば無血の勝利。
だから初見で誰もが「え?主人公なんも成長してないじゃん」と口を揃えます。
- それでもコルドロンが好きな人のこじつけ反論ターン
ただ本作が好きな人から言わせてもらえば、「いやしてるじゃん」と。ターランめちゃくちゃ成長してるじゃん。と。
彼はその思考過程こそ描かれないものの、作中で大きな決断を2つします。
ひとつは、コルドロンに飛び込むことです。
コルドロンの魔力を止めるには「生きたものがその命を捨て、コルドロンの中に飛び込む」必要がありました。ターランは自分が飛び込んで、死者の軍隊を止めようとする訳です。
自己犠牲を良いか悪いかと捉えるのは別として、若くしてこの決断をすることが凄くないですか?凄いよターラン。お前が英雄だ。
そしてもうひとつは、友達のために夢を諦めることです。
彼は森でできた友達ガーギのために、「何でも斬ることが出来る魔法の剣」とあるものを交換します。この魔法の剣は彼の夢そのものでした。これがあれば誰にも負けない、世界でいちばんの騎士になれる。
だけど彼はそんな魔法ではなく、友達を選んだんです。
凄いよターラン(2回目)。
彼は物語の中でこそ剣の腕も成長しませんが、きっとこれから立派なナイトになれる器の男なんですよ。そう、「魔法の力」なんて借りずとも。
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好きなシーン
さて、ここで筆者の好きなシーンを紹介しようと思います。
中盤、ホーンドキングの城からなんとか逃げ出したプリンセスエロウィーとターランが喧嘩するシーンです。プリンセスエロウィーは終盤空気と化しますので、実質このシーンが彼女の唯一の見せ場です。
ターランは自分の剣で城から逃げたことを誇らしげに話しますが、エロウィーは「あなたじゃなくて、剣の魔法のおかげでお城から出れたのよ」とマジレスしてきます。レスバ開始の合図です。カーン。
ターランは言い負かされたことが悔しくて「女の子には剣のことなんてわからないだろうね!」とポリコレガン無視の反論(負け惜しみ)をしますが、エロウィーは「女の子?貴方はその女の子の力も借りないとお城から出れないくせに!」とこれまたド正論で返してきます(ターランを牢屋から出してくれたのは何を隠そう彼女です)。
2人は喧嘩してしまいエロウィーは木陰でこっそり泣きます。
しかし彼女はターランが謝りに行くと、すぐに涙を拭き、ターランが謝る前に「いいえ。喧嘩がダメなのはわかっているの。ごめんなさい、今はそんな時じゃないのに」と非常に建設的な意見を出すのです。エロウィーほんま最高やで。
ここしか見せ場ないのに、このシーンのおかげで筆者の中の評価はめちゃくちゃ高いプリンセスです。
まだ10代半ばくらいの少年と少女が前向きに、力を合わせようと奮闘してる姿。この初々しさというか、たまらんです。みんなもそういうの好きでしょ?
- まとめ
映画『コルドロン』はWDASの政権交代の時に制作された、スタジオの混乱が色濃く反映された作品です。
なぜ駄作となってしまったのか?
・興行収入が奮わなかった
・歌がない
・ストーリーが微妙
・主人公に感情移入できない
情報だけ並べれば確かにダメダメです。ディズニーの汚点と言われても仕方ない。だけどいいところもいっぱいあるのです。
先述したシーンの他にも絵のクオリティの高さ(正直これだけでお金が取れる)や、『眠れる森の美女』のマレフィセント城のようなおどろおどろしい雰囲気など、いくら「ストーリーのダメダメさ」を差し引いても私の中では好きが勝ってしまうんです。
多分『コルドロン』と『バンビ』が大丈夫な人はディズニー耐性があると思う。
ある意味ふるいにかけられる2作(だと勝手に思っている)です。
そんなこと言ってたら観たくなってきたじゃないか。
今夜は電気を暗くして、コルドロン探しの旅に出ようか。
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